長く続くコロナ禍で不要不急の外出を避けて過ごすうちに、あるものに渇望している自分に気づきました。それは「自然」です。
私が住んでいるところは、駅までの距離が近く、電車に乗れば都会も郊外も気軽に行ける便利な地域です。家の周りには田んぼも畑も山も野原も無いけれど、ちょっと移動すれば自然を満喫することができます。
ところがコロナ対策で外出が制限されたことで、気軽に利用できたはずの自然が混雑する場所に変わってしまいました。家の近くには自然と呼べるほどの自然はなく、そうなってみて初めて、私の日常に在る自然風景は意外と限られているということに気づかされました。
そして先日、緊急事態宣言が解除されたこともあって、長居公園、桂離宮と立て続けに訪れました。久しぶりに味わう自然です。
長い制限の跡の解除ということもあって人出が分散されたらしく、そこには平穏な日常が感じられました。
前回の台風で予想以上の被害を受けた長居公園は、11月から改修工事で休園しています。10月はバラも満開との情報があったので、改修前に見納めに行ってきました。
秋特有の曇天の空には白いバラが映えていました。
台風で傷んでしまった古代の林も息吹を吹き返したように輝いていました。
残念ながらバラの満開の時期は過ぎていたのですが、ダリアは鮮やかに咲き誇っていました。
妻はダリアに大はしゃぎしておりました。
あっちこっち向きが違って形も色も様々なので、笑ったり踊ったりしているように見えるて楽しいらしいのです。
コスモス園が一番の人気らしく人出も多かったのですが、ひっそりと咲いている珍しい花びらのコスモスを見つけました。
その週末、京都での仕事の帰りに桂離宮まで足を延ばすことになりました。
ネットでは予約が先までいっぱいとの情報だったので私は諦めていたのですが、同行した妻が「ダメ元で行こう」と言って聞きません。
いざ行ってみると、当日受付でガイドツアーに参加することができました。
始まるまでの待ち時間は30分以上あったのですが少人数で快適でした。
見せることを計算しつくした庭は、入り口付近には遠近法が用いられており、砂利道は土の道に石をパズルのようにはめ込んでいるだけなのに崩れることもありません。
峠の茶屋のような吹きざらしの茶室は、台風の時などは傷まないかひやひやものなのだそうです。
部屋になった茶室は3つあって、かつてここを利用していた人たちが中から眺めたであろう景色は生きた絵画のようです。建築を勉強されている方にとっては、とても素晴らしい資料でもあるそうです。
同じガイドツアー参加者の方に、樹木を写真にとって検索して教えてもらったのですが、糸杉と馬酔木という珍しい木やくろもじの垣根がありました。
晴天と風の強い日だったので、池の波が本当の海のようでした。
また、月見台があって、池にも月が映るようですが、閉園時間の関係でその姿を見ることは叶わなさそうです。
妻曰く、
「真冬の閉園前に滑り込んだらギリギリセーフでみれるかも」
とのことですが……。
「ほんまに行くんかい」ってなことにならないように祈るばかりです。
帰りに筍亭で遅い昼食をいただきました.
京都市内とは思えない竹林と自然のきれいなところです。
渋滞の多い京都へ車で行くというのは結婚以来避けていたのですが、コロナ禍で仕事も車の移動になりました。電車でしか外出できない妻もドライブがてら同行するようになりました。そんな「ついでに」が重なって、近頃は京都を少しずつ満喫しています。
大阪にはない京都の魅力は非日常的な自然でしょうか。
還暦を過ぎて初めて、京都に魅力を感じております。